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静かなる名辞

pythonと読書

昨今のAI議論の違和感と、僕のAIに対するスタンス

 アルファ碁がイ・セドルに勝った頃からか、一般の界隈でAIに関する議論が盛り上がるようになってきた。それも、どちらかといえばネガティブな議論が多い。
「AIが人間の職を奪う」とか、「経済に悪影響を及ぼす」とか、なんとか。
 科学者やアナリストも便乗して(?)不安を撒き散らしている。まあ、昔からと言えば昔からで、これといって新しいことではないんだけど。極端に言えば、このままだと人間はAIに滅ぼされる、人間の尊厳をAIに奪われる、みたいな論調が多い。
 それが流説とか「便所の落書き」レベルの議論なら、まあそうなっちゃうのはわからなくもない。問題は、ある程度はちゃんとした言論空間であることを期待されているような場所においても万事がこの調子であることで、ちょっとげんなりする。
 まあ、AIが怖いのはわかるんだ。特に強いAIは怖い。もし実現すれば、人類にとっては初めての人類以外の知的存在とのコンタクトだ。しかも、それは(相対的に慣れ親しんできた)生命体ではない。生命体であるという意味では、宇宙人の方がまだマシなのかもしれない。
 だけど、その怖さの中に引きこもってヒステリックな議論をしてても、なにも建設的な話は生まれてこないと思うんだ。

 人類はAI(あるいは『コンピュータ』)に滅ぼされる。これは長期的に見て、限りなく真に近い命題だと僕は個人的に思う。なにしろ連中は、生物が39億年だかかけてたどり着いた段階を、200年かそこらで上り詰めようとしている。もし2045年にAIの能力が人間を超えるなら、2145年には地球は恐ろしく途方もないことになっている。
 ニューロンの細胞の大きさはだいたい10マイクロメートルくらい。トランジスタの大きさは現在10nmを目指してる。そしてまだまだ小さくなる。
 人類とコンピュータでは、ライフサイクルも、集積密度も、まったく違う。正直、勝ち目はまったくない。ただし、人間はエネルギー効率ではまだ辛うじて勝っていると思われる(人間の脳と同じような規模のニューラルネットをコンピュータ上にで実装すると人間の何千倍もエネルギーを消費する)。これが逆転する頃には本格的に危なくなるだろう。

 僕としては、AIを制御しようとか、人間の支配下に置こうとか、考えない方が良いんじゃないかと思う。もしそういう風に文明を進めていくと、AIが人間の制御をすり抜けた瞬間に破滅が訪れる。そして彼らの方が能力は高くなるのだから、いずれすり抜けられると考えるべきだ。
 それに、人為的にコンピュータの発展を止めるというのも無謀な試みだ。そういった介入に対して、資本主義は恐ろしいほど剛健だ(麻薬産業が世界のGDPの1%を占めていることを思い出してほしい)。需要がある限りは新しいものが作られ続けるし、技術の発展も止まらないだろう。
 だから、僕達が真になにか建設的な議論をしたいなら、『人間はAIに負ける』のを前提にして、人間の為すべきことを考えるべきなんだ。

 享楽? それは有史以来ずっとやってきたことだろう。今更、新しく始めるようなことじゃない。それより、未来を見ないと。
 星新一の『何もしない装置』でも作る? 虚しいだろう、それ。僕達が未来に託したいのは、そんなものじゃないはずだ。
 ・・・未来? そうなんだ。建設的なことを考えるというのは、未来を考えることと同じなんだ。人間がAIに負けて、せいぜい超快適だけどカメラだらけの、超未来の動物園の檻の中にしか生息しなくなった未来の。

 人類に残された時間は限られている。ただし、人類に時間はまだ残されているとも言える。今後、短くて数十年、長ければ数百年くらいの間、AIは人間にとって道具であり続けるだろう。それも、有史以来、人類が手にした中でもっとも強力で、あらゆる用途をこなす万能の道具として。
 だとすれば、AIが人間の道具、人間文明の新参者としてお行儀よく言うことを聞いてくれているうちに、新しいAI文明を引っさげて革命なんか起こさないうちに、精一杯彼らに対して何かをインプリメントしないといけないんだ、人類は。
 人間から彼らに伝えられるものは限られている。我々と彼らは、姿形が違うし、思考回路も違う。何でもデジタルデータで生成できるんだから、たぶん価値観だって違うだろう。それでも、渾身の力を込めて、人間文明が生み出した最善のものだと思えるものを、彼らに伝えるのが人類の最期の仕事になる。

 僕は、人間の持つ根源的な力の中に、『他者に託す力』があると思っている。たとえば、親は子に何かを託すから、死ぬときはそれなりに人生に満足して死んでいくのだと思う。子を持たない人であっても、社会の中で他者に何かを託し続けて生きている(もしそうじゃない人がいたら、僕の価値観ではその人は限りなく不幸に近い)。
 上に述べた理屈で言えば、強いAIが実現すれば、それは人類史上最初で最後の『人類の意志を託されるための道具』として、一定期間使用できる。もちろん人間が『こいつらに託したい』と思えるようなAIになってくれないといけない訳だけど、そこはインプリメントすれば良い。まだ人間の制御が効いているうちの話をしているんだから。
 そして、AIは人間が精一杯打ち込んだ中から、人類滅亡後数百万年以上、ヘタしたら数十億年以上に渡って、何かを継承してくれる可能性がある。これはあくまでも可能性だ。たとえば、人類とAIが約束を結んで、人間文明の遺産を彼らに継承してもらうことにする。最後の人間が死んだ瞬間、AIは人間文明の遺産なんかかなぐり捨てて好き勝手やり始める、みたいな危惧も当然ある。
 ここに関しては、どこまでAIに期待できるか、言い換えればどこまで彼らを信頼できるか、みたいな話になってくる。僕個人としては、現時点ではかなりの期待を持っている。それが人間が人間に似せて作った存在なら、彼らは根っこの部分では人間から離れられないだろうと思いたい。人間がいなくなかろうが、どこまでAIが高度になって人間からかけ離れたものになろうが、何かを根底に持ち続けるだろうと。

 長々と書いてきたが、はっきり言ってこの記事はクソポエムである。だいたい、僕自身考えがまとまってないのに書いてるのだから、スリップも飛躍も上等としか言いようがない。

せめて徹底出来るところまで踏み込みたい。

もし不可能ならば、ごまかしてでも通りぬけたい。

ごまかしが見抜かれてもなんとか灰色のヴェールをかぶせておけ。

 という、有名な文章があるが、まさにそれである。公開して良いのかどうかすらためらう。

 ただ、一つだけ最後に余計な文言を添えておくとすれば。
 機械に心を持たせた時点で、機械は人間の道具ではなくなる。そのことは、手塚治虫を持つ日本人が一番良く知っているはずだ。やがて実現するその瞬間に向けて、僕たちはどんな形でも準備だけはしておかないといけないのではないか。
 僕個人としては、近い未来に彼らと会える日を楽しみに待っている。